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[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

日本の公教育にも「経済学を」

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会社活動という名の「プチ経済学」

 なんのために生まれて、何をして生きるのか、分からないまま終わる

 そんなのは嫌だ。(アンパンマンのオープニングはすごい歌詞ですね。笑)

 

 人が本来大切にすべきことは、「人として何がしたいか。人として何ができるか。」

=「自分は何者か。自分は何がしたい人か。」という問いに答えられること。 

 しかし、現代社会は”環境の中の刺激物(特に目新しいものやメディアの新情報等)”があまりにも莫大で、それらに対応するだけでも精一杯になるし、対応しているだけで生きてる感が生まれてしまう。現に大切な世界のニュースを、真剣に追いかけているだけで、1日が終わってしまうくらいインターネットやマスメディアの情報量は溢れている。

その進歩は、もちろんありがたいことでもあるが・・・。

 しかし、そうしたことを自分の意思で”求めているのか”、それらに”囚われているのか”では180度違うと最近よく考える。人は無意識に”1日に携帯電話を80回程度触る。”というデータもその一つだと思う。

 昔、職場の先輩に「身の周りに物が多いな。時間を無駄にしてるよ。」と言われた。

 「ん?」”物が多い=時間の無駄?”

 例えば、タンスに全然着ない・履かない衣類が入っていたりしませんか?

 食器棚にまったく使わないお皿があるとか。笑

 そうしたものを“本当に取りたいものを取る前に、ちょっとどかす。“という動作。その動作が、生活のいたるところにあり、もし毎日、毎秒そうしたことに時間を使っていたとしたら、山積すると人生で何日分になるかな、と考えるだけで「ぞっ」としますね。

「自分が本当にしたいことができているのか。」or「世の中の刺激物に踊らされできた風になっているだけなのか。」それは、生活の中に山ほど隠れている。

 就いている職業にも、住んでいる住居にも、立ち寄るコンビニにも・・・。

 ちょっとした動作にも無駄なものばかりではないかもしれないが、そうしたことを意識しているかどうかではまったくその時間は異なるものとなる。

 アメリカの調査では、80歳まで生きる人の一生で無意識に見ているCMの長さは、なんと「4年分」になるそうだ。

 

 本題へ。

 「小学校」という”概念の塊”になりつつある環境下には、そうした「昔からあるからやっている」・「それが常識であるから」・「見直しも振り返りもされない慣行行事」などの、民間の企業の方から見たら「え?今の時代にそれいります?」と思われる動作や仕組みが、まだまだたくさん残っているように思う。

 先人の築いた”礎”は本当に大切である。しかし、先人もそうしてきたように「変化」と「心」を表裏一体にして、今ではなく”未来”を見て創造していくことを忘れてはならない。

(前回も記載した通り、現代はそうした先人の創りあげた功績の上にあぐらをかいてしまっているように感じる。豊かすぎて、もの・こと・命への愛情の欠如もあるような・・・。)

 昔、念願叶って買ってもらったゴム製のバスケットボール。一粒も残らないほどに、夢中にトリブルをして、シュートをして、終わったらタオルで拭いて、日陰に置いて・・・。

 そんな記憶が懐かしい。バスケットボールを手に入れることも、簡単なことではなかったのかな?自分があのボールに愛着があったのはなぜだろう。

 

小学校に「プチ経済学を」

 慣行のことを見直す。本当に一から考える。

 授業の仕方も。教室の環境作りも。

 過去に出会った先生たちしかモデリングがいないことにも疑問をもち、真似をせず、ただただ自分が「本当に先生という仕事に就いて伝えたいことはなんなのか。」

 それのみを考えて。

「もしも、まだ学校のない時代に自分がいたら、学校に何を作り出すか。」

 そう考え始めたのが16年前。

 

 放課後ボランティア時代、「校庭でぶたれた」という男の子に会った。当事者の他に見ていた子も集まってきた。お互いに気持ちを話し始め見守っていると、周りで見ていた子がぶった子に対して言った。

「人をぶっちゃいけないんだよ。朝、校長先生が言ってたでしょ。」

 今でもはっきりと覚えている。その言葉の違和感を。ぶった子にそう言った子が悪い訳じゃないことも。

「ん?校長先生が言っていたから・・・。」じゃないよな?

 人を傷つけたり、殺めたりしてはいけない理由を、その子自身が見つけ出さなくては、世の中から暴力はなくならない。先生の常套句「〇〇してはいけません!」この言葉自体を見直さなくては、本当の意味での平和は訪れないな。

 そう感じてから、一から必要なことを考えることを大切にしようと思うようになった。

 

 今回は学校にある「〇〇係」という、係活動の見直しに焦点を当てたことについて書きたい。

 「黒板係は3人まで!もしも希望者が多かったらじゃんけんで。」

 心から「黒板を消したい!!」って希望している人って、クラスに3人もいますかね?やらなくてはいけないって決まっていて、係の名前がずらっと黒板に並んでいるから、しぶしぶ選んだだけなのではないかな。しかも、本当はやりたくもないことを選んだにも関わらず、人数制限という訳のわからないことに弾かれ、他の係へ。なんてことも。

 その子の、本当の個性や特技を生かすには、もっと違った形式が必要だ。模索し、迷い、子どもたちと相談し「会社活動(低学年はお店)」というシステムにたどり着いた。

(きっと手早くネット検索したら、全国のどこかで、すでにあったシステムかなとも思うが、一から作りたかったので。もちろんこのシステムが正解なんて一ミリも思っていないが、慣行のシステムよりはマシかなと。)

 

 学校には「なくてはならないこと」と「なくてもいいけど、やりたくてやること」がある。

 間違えると「なくてもいいのに、やらなくちゃいけないこと」が生まれてしまう。

 

学級のはじめによくこんな話から入ることが多い。

 「みんな、自分の、隣の席の、このクラスのみんなの、20年後の未来を想像しよう。」

 「何してる?」 「東京で働いている。」・「結婚してる♡」・・など、いろいろ。

 「では、その未来にたどり着いた時に困らないように、自分には何が必要で、どんなことを身につけたいのかなを考え、行動する1年間にしましょう。」

 そんな言葉から学級を開いている。

 

 その中で、職業の話は必ず話題になる。

 決められた係活動ではなく、2つの目標に向かう「自分の得意を活かした活動」

 見合う対価(給料日)が発生するため「会社活動」と名がついた。

 2つの目標

 ①誰かの役に立つ

 ②誰かを楽しませる

 *または、その両面を叶え備えた活動。世の仕事をもし2分したらこの二つなのかと思う。

 最初は、これ以外の決め事はない。

 子どもたちは、あっという間に会社や団体を立ち上げる。

 コミュニティーを広げていく子。

 すでに淡々と制作に取り掛かる子。

 様子を見ている子。

 この瞬間を見つめているのは、この仕事をしていて一番勉強になる時間かもしれない。 

 

 立ち上げた後「時間・健康・コミュニティー」の私が人生の中で大切だと思っている3大要素に沿って、決め事を子どもたちで会議する。もちろん他もあってもいい。

 時には、代表取締役・社長・会長などだけが集い行う会議もあった。(社長会議というかっこいい名前をつけたい!なんていう年も。)

 やりたくてやっていることには、対価(お金だけじゃない。言葉も、環境の変化も含めて)が付いてくることを学んでほしい。

 学校はやらせっぱなしのことがとても多い。奉仕の心を育てるには、認めてもらうこと経験がないと育つことはないと思う。

*次回、「ひみつのサービス」はじめました。で記載します。

 

 会社活動の大まかな流れ

 ①立ち上がった会社・団体が目標に沿って活動する。

 ②せっかく取り組んだので、月に一回、業績報告会で成果を話す。

 *先生、会社だから給料があったら面白くない?この言葉をひたすら待つ。

 ③お金について学び、子どもたちと給料日とそのお金の活用についてシステムを作る。

 ④お金等の対価を含めた活動が始まる。

 【教室内専用通貨でできること(ガチャや映画券など)・夏祭り文化祭などが始まる。】

 *この企画も”電通”さんのような代理店・イベントカンパニーが登場して企画・運営をしていくまで待つ。

 ⑤転職・株投資・SDGs・貿易などに発展する。(ここはこちらの情報提供も大切。)

 ⑥年間を通して、振り返り・未来へ繋がることを考え、校長と面接をする。

 載せきれないことが多いが、このような流れで行うことが多い。

 ご質問があれば、ぜひコメント欄でお願いします。

 

 この活動をしていていいなと思うことは、

 ・自分の好きなことを全力で活かせる場があること。

 ・取り組んだことで認めてもらえる場があること。

 ・報告会後、フィードバックを通して活動を見直せる力が身につくこと。

 ・未来に必要な力に向かい、自分の個性を伸張させられること。     など

 

 専用通貨でも、子どもたちは本気でお金を大切にします。教室内で通貨を使いすぎて、銀行から借してもらったり(現実で起きる前に借金の怖さが分かった。なんて話してくれた子も。笑)、融資のもらい方を知ったり、企業を大きくするためにあえて無料のことをしてみたり、「お金はすべて募金します。」なんて会社が出てきたり、見ていてこちらこそがいい学びになります。

 

 大人でも褒められたら嬉しいですよね。「やらされる」ではなく「やりたいな」を増やす。

 それも学校という人が集まる場だからこそ、本当に大切にされなくてはならないと考える。

 

 次回 :「ひみつのサービス」はじめました。

 次々回:「教科ごとのめあてを作るのではなく、人として出会った子たちに自分は(先生)何を伝えられる人間であるかをまず先に考える。」

 

 読んでくださりありがとうございました。

 *教員15年目。今からが一番の学びの時で、一番迷って、悩んでいる時です。

 他業種の方からの刺激を大切にしたコミュ二ティー(今は名を「TED」パクリです笑)を、大切な仲間たちと開設している途中です。たくさんの方と交流できる場にしたいと考えています。コミュニティーが整いましたら、そのことも掲載します。

 たくさんの人と考えを共有し、対話・共創できること。

 20年先の、今の子どもたちが過ごす未来のこと。

 そうしたことを真剣に考えていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。

 

 @mucchart