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[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

「選択制のある授業」から生まれるクリエイティビティー

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教える、育てるのは先生だけではない

「教えるのは、先生だけではない。」そんなタイトルを掲げると、仕事放棄ですか?と思われてしまうかも。笑

 伝えたいことは、「先生という仕事の立ち位置を少しずらしてみる。」という話。

 以前にも記載した「先生は、teachingからcoachingへ」という話と重なるところもありますが、よろしければお暇つぶしに読んでください。

 

選択制のある授業

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 教え込みの授業形態ではなく、自発的に取り組みたいことが見つかる環境と体験設定を準備してみたい。

 そんなことをイタリアのレッジョ・エミリアは街単位で行っているのだから驚きだ。

 学校単位で行おうとしてみても、それを体現するには本当にゆっくり話伝え続けていくしかないのだと思う。

 本当にゆっくりと。

 でも、そんなことにチャレンジしてみたい!と春先からずっと準備してきた単元「わたしの図工力」(選択授業)に取り掛かることを決意した。

 

 選択制…この言葉がなかなかな曲者で、「子どもたちがやりたい学びを、自分で選べたら楽しそう!」という安易な一点で考え始めたことがツキであった。笑

 それを作る側になってみると「こんなにもいい意味でいそがしく、思考がぐるぐるスパイラルする単元」は久しぶりで、時折思考停止になったこともあった。(初任の頃、クラスの子1人ひとり課題が違うから毎日クラス全員に違う宿題を用意していた頃の時々の思考停止な感じが似ていて思い出した。あれは大変だった。笑)

 しかし、一度に20個くらいの仕事を請け負うプロのデザイナーさんたちの頭の中って本当にどうなっているんだろうと感心する。

 

 当たり前だが、選択制を授業に導入するのであれば、それに関わる人数分、40人いれば40の思考・材料・場所・空間・雰囲気…などの用意や備えが必要になる。準備ではなく用意である。使われるかどうかも分からない、こちらの勝手なお節介も多く含むからだ。

 それを150人に向けて実施してみようと考えたとき、“新しい教育の世界観“が広がった気がする。

 “よく失敗していいからやってみな。“という言葉を聞くが、今の子どもたちとは今しかないため、失敗はしたくなく、本当に慎重に進め、大胆に単元に入ってみた。選択制の授業で起こった最も嬉しいこと「自然発生的な異年齢集団の関わり」については、次回記載したいと思います。

 今回は、その授業を形成するに至った経緯を記載したいなと。

 

教育課題って一体何個あるんだろう。

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 教育課題は何個あるのか。その答えはない。人が相手だから気分や状況で刻一刻と変わっていくから当たり前である。

 でも、SDGsのように具体的に数に示さないと取り組みすら進まないから、数値化することが主流になっているように思う。

 SDGsも学校の中で取り込んでいるが、絶対にしないことがある。それは「教える」ということ。

 SDGsは人から教わるものではないと思っている。教わるのではなく「感じるもの」といった方が私はしっくりくる。自分が世の中で生活しているときに、「え?これっていいの!?」って思ったことが、すべてSDGsの視点に入っているからである。

 誰かが言っているから“やる・やらない“では、絶対に世の中は良くならないと思う。一時良くなっても、それになんの価値があるんだろう。そんな風に思うから、SDGsは「教える」ことはしないで、感じてもらうことを点在させるようにしている。

 

 話は少し変わるが、ここ10年で小学校という場所の中で、教科や授業単元として取り扱う内容が多岐に渡ってきたように思う。

 社会と学校はつながっているため、時代の流れに応じて変化していくことは当たり前の話である。

 過去からの積み重ねの上に、さらに重なり合い、scrap & Bildを繰り返して今に至っているとは思う。

 新しい時代に応じ、新しい取り組みを取り入れていくことは決して悪いことではない。

 しかし、その新しい取り組みにHeart(心)をもって全力で心の底から楽しんで、肯定しながら取り組めている教員は決して多くはないと思う。それだけ膨大な学習課題が取り扱われているのだ。歩み進んでいるのではなく、課題に追われてしまっている教員が多くなってきたように思う。資質が下がったのではない。教育システムとして変わり、それに順応できるかどうかなんだと思う。 

 一例として、道徳教科化、外国語必修、プログラミング教育、キャリアパスポート、GIGA…どれも次世代を担う子どもたちにとって、大切な資質だとは思う。でも、これだけ増えたら“選択制の授業形態“に抜本的に変容した方がいい。

 もっと言うなら変容していかなくては、どれも中途半端な獲得に終わるかもしれない。

 どの分野もそれに精通したプロフェッショナルな大人たちが作り上げたもので、そうした資質をすべての子どもたちに一律に入れ込む事は困難である。興味、関心を抱くため?にしても、どれも中途半端な知識量、経験量しか入らないことは往々にあり得る。

 人間が本来持つキャパシティーをはるかに上回ってきたのかもしれない。

 もちろん、「すべての分野を完璧に習得させる!」なんてことでの導入ではないことは理解している。しかし、導入されればおざなりにはできない。

 教員としてできる一番の対応は、社会変革のアンテナを最大限に張り、それはまるで株価の動きと連動するかのように、社会の動きとほぼ同時に自ら考え、教育現場に入れ込むということがある。今、水素の車について語れる教員は全国に何%いるのだろうか。

 

 この資質も教員としてとても大切なため、日頃から意識して取り組んではいるものの、世の中の全教職員が、当然私自身も含め、その社会のスピード感に遅れを取らずついて行き続けることは可能なのか?

 
 上記あげた、最近導入された教育課題を表面的に見てみましょう。

 ・道徳教科化・・・全国的にいじめ件数が増加し、社会問題に。道徳という教科で抑制を。

 ・外国語必修・・・グローバルになる世の中に対応できる人材育成のために。

 ・プログラミング・・・society5.0に向け、Agencyな人材を。 …

 

 ものすごく表面的にみても、これら社会の動きをキャッチーに反応し、すべての分野に先手を打つことは難しい。

 でも、すべてに先手を打つのではなく、確たる信念“プリンシパル”があれば、世の中がどう動こうが、曲がらなず対応することができると思っている。

 何が起こるかを予知するのではなく、見通しをもってより良くするために“今本当に必要なこと“を考えることが大切だと思う。

 

 今回、小学校の図工領域、「5領域:造形あそび・絵画・立体・工作・鑑賞」を児童に選択してもらった。

 授業内容は次回に記載したいと思うが、上記挙げたように、世の中、選択肢が膨大に増えているのに、それを選べる授業、考えられる時間が幼少期や小学校・中学校期に少なすぎると思っている。

 自らの意思で選んだこともない子に、「何がしたいの?」って問うことほど酷なことはないと思っている。

 はじめは選べなくてもいいと思っている。選べず1時間が終わってもいい。

 そんなに長い時間、何かを選ぼうとした経験が残れば。

 

 選択肢を多くしたため、いやいまだに多くなっているため、不透明になってきているのだと思う。

 人間は進化していくべきだが、自分たちで空気を汚し、不透明な景色を眺めている国と同様、思考や考え方の多様性は時として人の視線を不透明にしていく。

 でも、そんな道だと分かっているなら、「選ぶことに慣れる。」ということが大切だと思う。

 そんな思いをもって取り組んだ選択授業「わたしの図工力」について、次回記載します。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 ほんとうに遠回りですが、20年先以上の未来がよくなっていくように発信できる人に成長していきたいと思っています。

 「家庭 ×  教育 ×   社会 ×   環境 ×   熱意 ×   信念 = 世界平和」  

 人と人・人と環境を紡ぐ生活(blog)を目指して。

 「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。

 

 次回 :選択授業「わたしの図工力」

 今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。

 @mucchuart