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[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

悩みの質を上げること

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人は生まれながらなの”メイカー”である。

 改めまして、小学校教員で今年図工専科をしています"mucchu(むっちゅ)"です。

 (*夢中に取り組んでほしいという願いを込めて合言葉にしています。)

 授業時数のこともあってか・・まだ正式な授業を始められていませが、我慢できず、図工通信mucchuの発行や学校ホームページ「図工室より」に面白い工作を載せ、じわじわと浸透しています。(むっちゅという合言葉もかなり親しまれてきたような・・。)

 

 一度だけオリエンテーリングをした5年生の数名の子たちが、毎回の休み時間に欠かさず図工室にきてくれるようになりました!

 「こんなの作ってきましたー!」や「この材料使ってみたい!いいですか?」など、意欲むんむんで遊びに来てくれます!

 授業が始まる前から、一緒にいる時間が楽しくて仕方ないです。本当にとても嬉しい。

 遊びに来てくれる子たちと、「今週のアートmenu!」というものを作成しました。*上記写真

 図工室にある材料で、「誰でも、簡単に、手早く作れて、楽しいもの!」を一緒に考えてメニューにしてみました♪

  •    menu
  •    ①らくがきアート:刷っておいた「モナリザ」の塗り絵にらくがきする。木片に
  •    ②マイ黒板をつくろう!:図工室の端に、たくさん置いてある木片から好きな形を選んで「黒板塗料」を塗る。
  •  ③サイコロ作り:オリジナルの絵を描いてサイコロ合わせゲームをつくる。

 毎日くる5年生の子たちはすっかりお店やさんのように、低学年がくると「いらっしゃいませ〜!」と言って、作業の材料を選んであげたり、作り方をレクチャーしてくれたりします!

 図工室を改造して、かなり自由な空間に変容したことで、創造性を駆り立てられることを私自身も感じていましたが、私なんかよりも子どもたちはその何倍もクリエイティブにものを生み出しています

 かのピカソは「子どもは誰もがアーティストである。しかし、大人になった時にそうでい続けられない。」と、述べています。

 画一、均一が、その可能性を大いに握り潰してきたのではないでしょうか。

 はみ出るだけで排除されたら、誰もcreativeな道を選ぶはずがない。

 人と違うことをしただけで、白い目で見られたらもう二度とやらないだろう。

 一度、「だめ!」と言われたことは、もう興味をもちにくくなってしまうことだろう。

 

 そんな空間には、絶対にしない。(安全性は別の話。)

 「一生懸命に考えて、あーでもない、こーでもないと悩むことを楽しんで、"これがいい"と思ったことを、とにかくmucchuにやってみる!」と掲げ、全てを全力で出し切れる空間を保ち続けたい。

 人は生まれながらにしてメイカーであり、後世にそれを技術として残し、紡ぎたい生き物なのだと思う。

 それはもはや、人が息を吸うことと同じほどに、当たり前の事象なのだと思う。

 レッジョ・エミリア100の言葉にもあるが、それを環境が文化が奪い去ってしまう。そのことに大人たちが早く気づき、後世にクリエイティブな自由な空間を創り残すことは、今を生きる私の使命の一つに思っています。

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悩みの質を上げればいい。

 悩むことからは離れられないなら、悩む質をあげればいい。

 先でも書いたように、きっと人は古代の頃から物作りをやめた歴史はないのだと思う。むしろ進化し続けてきた。

 メイカーである人間の根底にある力。それは"考える力・悩める力"だと思う。

 縄文土器に先の尖った土器がある。

 そのまま立てたら倒れる。今では、当たり前だが、当時は天才的な発明品である。

 煮炊きをする=食文化が変わる。だけではない。その度にクリエイティビティーな人間が生まれてきたのだ。

 

 古来、そうした発想力や創造力に支えられ、育ってきた人間は「考えること」をやめることはないと思う。考え、悩み行動してきた生き物だから。

 もし考えることをやめた時が、本当のシンギュラリティーであることは間違いない。

 人はいい・悪いを除いても常に"考えているか、悩んでいる生き物"だと思う。

 意外にも脳が1番休んでいる時は、スポーツをしている時、という話を聞いたことがあり、なるほどと思ったことがある。

 考えたり、悩んだりすることから避けようと思ってもそれは無理だと思う。

 そういう気持ちをもって旅行に行く人も多いと思うが、頭を空っぽにするなんてことはできやしない。

 お腹が空けば食材のことを"考える"し、太陽が眩しければ紫外線に"悩む"のだ。

 何も考えないようにしよう、しよう、と考えれば考えるほど、「何も考えないようにしよう。」ということを考えているのだ。

 だから、きっと考えること・悩むことから避けるのではなく、考えたり、悩んだりしていることの質を上げ、そのこと自体を楽しんだ方がいいと最近思う。

 もちろんいつでもそうできているわけではなく、不意に考えたくもないことが入ってくることもあるが、それよりも考えたいことがあると、そのことを考えたいためにそうでないことを効率よく作業し、手早く終えようとすることを覚える気がする。悩みも一緒だ。

 

 質の上げ方は人それぞれだとは思うが、私は単純に"成し遂げたい目標"ということにつながる考えや悩みを増やしている。

 そして、その目標が世の中の全てのことに関わってくる目標なため、世で起こる全てのことが学びになっている。(というかそう捉えようと思えば、そう捉えれるという話なだけでもあるが・・。)

 生まれながらのメイカーたちは、黒板化した図工室の壁の前にチョークケースが置いてあれば、当たり前に絵を描く。というか、私も最初に我慢できず描いた一人。

 メイカーは冒険者であり、探究者、考案者である。

 頭の中で考えていることをなくそうとするよりも、余計な悩みが入る余地がないほどに考えたくなるものに出会える努力をする方がいい。

 そんなことを考えていると、世の中の見方が少しづつ変わってきたように思う。

 一言で言うと、「世の中に無駄なものなんて、ない。」というように。もちろん手に取るかどうかは別にして、まず向き合ってみるということにつながる。

 人は脳の2%しか使っていないって、どこかの科学者が言っていた。きっと私がフルスペックで脳を使ったところでパンクはしないだとう。だから、とことん考えること・悩むことと向き合い、その一つ一つの質を上げることを選択するようにしている。

 これから図工室で作業を始める子どもたちにも、そんな"悩み方"に出会ってほしいと思っている。 

 

今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 ほんとうに遠回りですが、20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。

 家庭 ×  教育 ×   社会 ×   環境 ×   熱意 = 平和  

 人と人・人と環境を紡ぐblogを目指して。

「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。

 

 次回 :「オンライン学習とオフライン 〜いつ飲み屋さんに行けるんだろう〜 」

 今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。

 @mucchuart