Art communication = education × mucchu × artlife’s @design blog.

[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

学校って何だろう。

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「決まっていること」からの脱却

 勤務している小学校のホームページに特設ページを開設してもらうことができた。

 「図工室より」・・・とても普通の名前。

 でも!内容はSTEAM学習に近い活動を中心に取り上げていこうと思う。

 (本当は「Art room」とか「〇〇Labo」とかにしたい。流行ったら改名を依頼してみようと思います。)

 隣町がこの休校中に50人もの教員有志を募り、約300本のパスワード付きの動画配信に取り組んだ。

 素直に・・尊敬する。けど、悔しいが本音。

 "具体的に動いてみる" 相田みつおさんの言葉。明かに、これが足りなかったことを知らしめてくれた出来事だ。

 先を見通し水面下で動くことは、後々に結果が見えてくる。その時にはもうそこにはいなくとも、その価値は廃れない。

 しかし、この"具体性"という力を利用できなかったことに反省している。

 幅が広ければいい訳ではないが、大きく動いてみて初めて見える感覚は必ずあるし、そうしてみないとできない失敗がある。

 要は経験してみたことのないことをいくら机上で語り合っても、マジックワードだけが綺麗に並び結果「誰も動かなかった。」ということになりがちになる。

 それを解消するのがこの「具体性」だ。それに気づき、叩かれようが、罵られようが・・・(別にそんなことはされていないが、今後もしもあっても。)あえて「決まっていることから脱却してみる。」ことを選択する。

 その意識が高まったのは、「高司という男」と約2年前から始めた"ted(自主研修)"であり、そこで出会う他地域・他業種の方々の影響は大きい。自分たちだけじゃないんだ、戦っているのは。そう思わせてくれる仲間がいることは何よりも強みになる。

 stay×HOME期間があり、こんなにまで自分が"オンライン"を活用して様々な学習会に参加し、学ぶ日が来るとは思ってもいなかった。

 今まで"感覚"だけで超えてきた様々な壁。この壁を越えられたのは自分の感覚が素晴らしかったからじゃない。薄くて脆い壁なだけだったということ。要は、本当に大きく分厚い壁に出会えるほど、自身の位置が高まっていなかったことにも気付いた。

 そして、はじめて担任を離れ「図工」という教科に専念し、学習してみるとSTEMに"A"が加わりSTEAMにした理由がよく分かる。

 ARTは、すべての教科の空白を埋めつなぐ"絵具の役割"だと思う。(つなぐと言っても"のり"ではない。)ばらばらになりがちな"教科という枠組み"を多様な色彩、濃度でつなぐ。そんなイメージが湧いてきた。

 それは、担任を15年やってきたことが活きていることも実感できる。

 そして、それを全力で表現できる"図工室"改め「アトリエ」があること。これは、本当に大きい。

 教員はじめて15年経ち、お恥ずかしいですが「1からやる。」それも、今までいなかった舞台を広げて。

 

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具体的に動く&「高司という男」

「この写真どーこだ!?」明日の図工の第一声だ。

 この後、子どもたちと何するか分かりますよね?わくわく。

 

 ホームページ開設、相互関係のある通信の配信、お茶会(コロナが治れば。無理ならオンライン)、企業とのタイアップ・・・

 全部やってみはじめている。どんなことが起こるか分からない。まさに探究的革新を目指して。

 「決められたことをなくす。」という発想はやめる。そうでなくて、「まだ決まっていないことをやってみる。」

 それが現代版"具体的に動く"だと思う。

 そりゃ〜図工室の壁を急に塗料で"塗り塗り"し始めたら驚きますよね。でも!白洲次郎が最も大切にしてた"principal(原理・原則)"があり、それに伴う熱量、evidence、Communicationがあればクリアできることも見えてきた。

 身勝手とは違う。信頼関係の形成がなされた関係性の中だからこそできることを忘れない。

 今までにないことを見つけることの方が難しいほどに、世の中は"刺激物"で溢れている。でも、揺らがない本質は常に一人ひとりの中にある。それを1番素直に教えてくれる子どもたちに、"今、私が取り組もうとしていること"がいいか、どうか教えてもらいながら一歩一歩進んでいこうと思う。

 

 全人類70億人
 人は、生きている間に一体何人と出会うのだろう。

 "出会い"といっても形は様々。

 生まれて最初に出会い、一生共に歩む家族。

 青春時代を含み、多様な刺激をくれる友達。

 恩師と呼べる数々の人生の先輩達。

 心許せる仕事の同期。

 熱量で奮い立たせてくれる後輩。

 新しい人生観をくれる奥さんと娘。

 

 出会いの形を広げてみると、青春時代にtvの向こう側にいた歌手もアニメのヒーローも、髪を切ってくれた美容師さんも、近所の駄菓子屋のおっちゃんも、六本木でしか会わない外国の仲間も・・・。

 すれ違っただけも出会いとしても、マスメディアを通じて声だけ聞いたことも出会いとしてみても、雑誌で見たことあるハリウッドスターも出会ったとしてみたとしても、全人類の一体何分の1にしか会えないんだろう。

 

 中学生の修学旅行。くじ引きで決まった班に、それまで全然話したことのない人がいた。

 楽しめるのかな?って、頭をよぎった。

 でも、今までまったく知らなかったその人の良さを2泊3日で驚くほどに感じ、旅行が想像よりも何倍も楽しめた。

 出会いって不思議だ。

 選ぶ、選ばないじゃない。

 70億分の出会えたその奇跡をどれだけ大切にできるかだと思う。

 人は誰一人一緒ではない。

 だから揉めるし、ケンカも起こる。でも、だからこそ刺激し合い、分かち合い、喜びも生まれる。

 出会うことが人を大きく変え、成長させることは往々にしてある。

 

 採算登場する「高司という男」も、その一人である。

 人は出会って0.3秒で、相手の印象、その後の付き合いが決まると言われているが、それは付き合い方による。

 「刺激?」「正解?」「期待。」一言では表せられない男だ。

 出会ってからのことも書きたいし、そこでどんな刺激をもらっているかも書きたいが、ブログに書くきっかけになった言葉からみるその魂について書いてみる。

 「教員15年目でも、3年目からアップデートしてなかったら実質3年目ですね。」

 ドキっ!ってなる人もいますよね。こういう言葉をさらっと言える男。どこでこういう感覚になるんでしょうね。凄いよ。

 当然、互いに刺激し合うため、こちらの趣味や興味にも誘う。

 そこでかなり180°、要は自分にはない感覚の感想を聞くことがよくある。

 だからだろうな。一緒にいて面白いのは。もちろん合致することもよくあるけど。

 今、公教育の現状を何とかよくしたい!と全力を注いでいるのが離れていても分かる。会えばもっと分かる。

 何かを合致させなくていい。言いたいことが言い合える。そんな仲間ってありがたい。 

 tedというコミュニティーに、そんな仲間が集まり始めている。

 がむしゃらに、時にとんがり、時にまん丸に、繊細に、でも大胆に。principalが似ていると、表面の形はどう変わっても問題ない。

 いつの日か、肩の力を抜いて笑って話せるように今を仲間たちと共に全力で進もうと思う。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 ほんとうに遠回りですが、20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。

 家庭 ×  教育 ×   社会 ×   環境 ×   熱意 = 平和  

 人と人・人と環境を紡ぐblogを目指して。

「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。

 

 次回 :「オンライン学習とオフライン 〜いつ飲み屋さんに行けるんだろう〜 」

 今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。

 @mucchuart