教育と経済を結ぶ
公教育であることの良さと課題
先日、Panasonicが朝日小学生新聞に大きくSDGsの塗り絵を掲載した。
素直に感動と関心を寄せました。ここで教育的課題が生まれた。
『公教育であるために慣行のことに縛られがちになってしまう。』前回も記載したように『現状維持』は一見良さそうで…
大手、中小問わず企業が世界の流れを掴み、このように発信すること。
会社の経営にも直結するからこそ、常に危機感をもって社会情勢に気を向けて、それらと向き合っている。
さて、では公教育では?
私が勤める神奈川県には「かながわ教育ビジョン」がある。societyやGIGAスクール、PBLやSEL(対人関係)などのことも記載されている。もちろんSDGsも」。
当然のことだと思う。世界がそうしようとすでに動いているから。
しかし、公教育の現場では実際はどうなのか。
自主研修で、上記書いた言葉を取り上げると質問が多かった。実践例のことではない。その言葉の意味からスタートであった。
「ここ!こここそが公教育の怖いところ。」
教科書を進めていればやった感が湧いてきてしまうこと。
当然、教員の中には当たり前に実践を重ねているプロもいることはもちろん、それに気付き動き出している人もいる。
しかし、遅い。企業の方が早い。
教育って?
教科書からはみ出て知るべきことが山積している現代。
一年前の話だが、出前授業で知り合ったハーゲンダッツの方に連れて行ってもらい、農林水産省の自主研修に行かせていただいた。
食品ロスについて、5社程の大手食品メーカーの方々が夜な夜な勤務後に集まり、重役の方から新人まで壁を取り払い素晴らしい討議を行った。1人完全に場違いの小学校教員が教育的視点からグループワーク内で話していると、「その話、全体でしてくれないかな。」と言われた。食品に関しては食べることしかなかった人間が、食品業界のプロたちの前で意見する。背中に緊張が走った。
「食品ロスの改善が始まるのは、10年か20年後くらいかと思います。今日はカレーパンが食べたい!そう思って仕事帰りにコンビニやスーパーに立ち寄り、もしも食品棚に2、3個のかにぱんしかなくても「よし、これでいい。」と言える人間が増えること。それを言える人を増やせるのは教育だと思います。みなさんの話、明日児童に必ず伝えます。」
社会の教科書は4年間で約600ページ学びます。しかし、食品ロスは1ページの半分にも満たないところにしか載っていません。
本当に必要なことがかかれている教科書を作り始めたのは、その日からです。
今の事態で買い占めが起きてしまうこともだが、日頃食品棚を埋めて置かないとクレームが出る事実の方が、ニュースで取り上げるべき本当の課題だと思う。
最後に当たり前のことを書きたいと思う。
社会の流れに合わせて、教育を変容していく。教員の硬い頭をほぐしupdateしていく。
企業のように、そうしたことに取り残されたら経営できない。それぐらい危機感をもって教職に当たっていれば、それなりの質の時間を形成することができるのではないかな。
オランダのように、先生たちの質や学校の評判等で転校できる制度を日本にも作るべきだと思う。そうすれば、絶対にあぐらをかく先生はいなくなるし、互いに競争しあって、まず大人同士が学び合うと思う。そして子どもたちと共創が始まれば、全体の質が向上する。
世界の動きは早い。それに合わせる一番のシステムの変更は「公教育を経済として捉えて、利益(誰にとってもよい影響)を考える場に変更すること」だと思う。
SDGsをもっと勉強して、designや創造性を大切にして世に発信していきたいと思う。
次回:小学校6年生の教室内に取り入れた「オリジナル プチ経済学」
blog初心者のため、文章が酷くてすみません。だんだん上手くなりたいと思います。