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[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

「SDGs」 〜 18個目を考えるてみる② 〜

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SDGs⑩:人や国の不平等をなくそう
〜 何をもって平等というか 〜

「半分こね。」それは平等を表現する代表的な言葉。

 先日、我が家にポンデリングが1つあった。奥さんが娘とお買い物で買ってきてくれたらしい。

 私に、とは言ってくれるものの、こういう時は食べたい人みんなで食べた方が美味しいから「食べる人〜?」と聞く。

 娘は「はい!はい!はい!」と手を挙げながら走ってくる。微笑ましい。

 

 そのポンデリングは、小さな玉8個で形成されていた。チョコのコーティングもなされ、"theおやつ"といった感じに、食卓の真ん中に置かれた。

 さて、この8個の玉の分け方に"平等"ってあるのでしょうか?

 (*決して、その食卓中に今から書くようなことは考えてはいません。例です。その瞬間は「娘かわいっ♪」しかないですね。)

 

 2人はすでに、お昼にドーナツを1つずつ食べていたようです。でも、ポンデリングを一個取って置いていくれた。

 "お父さんの"というドーナツに付けられたレッテルは大人の話で、娘にとっては魅力的な玉たちだ。

 私はこういう時、絶対に一人で食べたくない人間で、一緒に美味しさをシェアしたいタイプ。

 奥さんにとって今回の場合は、結果はなったものでよい。もらっても、もらわなくても。

(*結果は、父4玉・母2玉・娘2玉となりました。美味しかったですね。)

 あくまでも例えのため、その時、その場で考えたわけではないが、振り返ってみるとその分かることの関係性は面白いと思った。

 

 平等ってなんだろう?という問いに、上記のような中から気がつくのは、"積極性とちょっとの譲り合いの間を楽しめるかどうか"なのかなって感じた。

 マイナス集団の場合、欲張って積極的なだけでも違う。譲り合っていても決まらない。なんでもいいよ、と待っているだけではことは進まない。

 これをプラスにするために"楽しむ"を入れてみる。

 積極的に「食べたい!」と笑顔で気持ちを伝える。

 その笑顔に「どうぞ、どうぞご一緒しましょ。」と笑顔で答えたくなる。

 楽しそうに食べている人たちを見て、「一緒に食べたいです!」という気持ちになり、輪に入ってきてくれる♪

*プラスな集団な気が私はする。

 取っている行動(分け合う)や立場は、マイナスの時も、プラスの時も同じだが、その印象は大きく異なる気がする。

 

 結果、平等とはものを均等に分けることじゃなくて、それに関わる人の心が楽しめているかどうかだと思う。

 もしも、このドーナツをわざわざキッチンから秤をもってきて、mg単位で分け始めたら絶対に美味しくないと思うし、いじりすぎてチョコのコーティングも剥がれ、分けた後悲しい気持ちになりそうな気がする。

 

  胃袋を満たすこと or   心を満たすこと

 

 あなたは、どちらが満足感を得られますか?

 ここの選択の大きな所は、胃袋の満たしは一人分、でも心の満たしは今回の例えで言うなら3人分ですね

 

 SDGsが世界目標の⑩番にこれを入れたのには、もちろんもっと広く多勢の関わる課題に向けてのメッセージがメインだとも思う。

 でも、その理念は一人ひとりの心が変わらなくては、決して達成できるものではない。

 もしも、上記のように、自分だけの満足感で行動している人が多いと、世の中への平等の広まりはどんどん遅くなるのだと思う。

 

 「取り合えば足りなくなる。分け合えば余る。」私は、この二分の考えだけにはしたくない。

 積極的に楽しく関わり合えば、みんなが同じ量じゃなくても、余らせなくても満足できる世界を創り出せると思うから。

 世の中には、同じものが同じだけあるわけじゃない。分けるとか、分けないじゃなくて、楽しめるかどうかだと思う。

 変な話、もしも食べる直前の分け合う最中

とても楽しいことがあり、心が満足になったら、もはや食べなくてもいいかもしれない。

 

 今回、食糧が絡む話で例えてしまったので、「SDGs②飢餓をなくそう」に触れてしまう気もするが、例えとして捉え、別の形に置き換えて考え見てもらえたらと思う。

 信憑性まではサーチできていないが有名な情報として、世界の上位8名の話がある。

 世界の総資産は約2京円。億の上の単位だ。

 この内の約50%1京円を、8人または62人が所有している。という話だ。

 

 どう感じるかは、それぞれであっていいと思うが、羨むことにだけ目がいかないようにはしたい。

 この8人は8人で、きっと信じられないくらいの努力や困難を乗り越えてきたであろうことや、日々その資産を巡って命の危機に晒されている緊張感を抱えていること。(宝くじで億単位が当たった人の中で「当てなきゃよかった。」と思う人も少なくないという。)

 平等という言葉を聞くと、「お金」というワードが出てきてしまうかもしれないが、それだけに固執してしまうのではなく、その人、その場所、その文化、季節や気候など、平等の形は様々あると捉えた方が自然な場合も多くあるように思う。

 暑い国が、寒い国に不平等だよ。と抗議しているような話はあまり耳にはしない。

 隣の芝生は青く見えるのかもしれないが、あくまでも隣であって、生まれ育つ環境に誇りを持つことに時間を有した方が人生は豊かになると思う。

 

「世界の果ての通学路」というDVDを、昨年の6年生と一緒に見て深く考え合った。

 登場する世界の4人の小学生たちの通学にフォーカスを当てたドキュメンタリーである。

 一人は、エベレストの麓の険しい山道を子どもたち3人だけで、約4時間掛けて歩く。途中、足首を捻り、平坦な道を歩くだけでも大変な状況になる。

 別の子は、アフリカの猛獣たち(野生のライオン、ゾウ、キリンなど)が住む草原の中を、約2時間走って通学する。送り出す母親は、毎朝欠かさず、神に祈る。子どもが無事に学校に着いて、ちゃんと家に帰ってこられますようにと。

 その他、生まれつき足を悪くしている兄を、弟2人が毎日、車椅子(ただし手作りの細いタイア)を押して歩く。しかし、その土地は砂地で、少しの力では進むことすらしない。その道を毎朝、約2時間である。

 最後の子は、幼少の頃から馬術を習い、学校に馬で通学する。騎乗された事がある方なら分かると思うが、何時間も乗っていると腰や足への負担は半端なものではない。

 「学校」という場に向かうということがまず命がけである環境が、同じ地球の同い年に起きている現実。

 それを見るみんなは、本当に真剣な眼差しであった。その顔をよく思い出す。

 

 でも、映像に登場してくる子どもたちは、みんなその通学中も共通して人と関わり、笑顔を見せる。もちろん編集もあるのかもしれないが、夢を語り、自分の生活を誇らしく話す姿に心打たれた。

 平等か、平等じゃないか、ものがあるか、ないかに置き換えてしまうと、永遠にいい方向にはいかない気がする。

 奴隷や人種差別の視点には、また違った課題があると思うが、SDGsの視点一つひとつに向き合うときに、大切にしたいSDGs⑩番への、今現在の私なりの考えである。

 

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「十人一色の学びから、十人十色の学びへ」

 〜 オンライン学習の平等とは 〜

 *次回、記載。

 休校している渦中のことは、記載したいことが多すぎる。現場での感覚は、時におかしくなりそうにもなる。

 さらに考えすぎて正直何度も書きたい、着手もしたが、すべて下書きに保存か、または削除してきてしまった。

 書いていると、思いが高まりすぎてしまう。

 そんな中でも図工通信mucchuを書いて、子どもたちにメッセージを送ってはいる。

 だが、今求められるのは、自分なりの行動だけで満足してはだめで、組織としてどうしていくかに全力を注ぐことである。

 教育のあり方の見直し。必要性。子どもたちの未来の見据え方。社会変革への対応。民間企業から見た、公教育の現場(学校格差はもちろんある。すでに素敵な取り組みをなされている学校も山ほどある。)

 毎日そうしたことと、時間が許される限り向き合うことにしている。そして、発信する。

 この事態は、世界が進もうとしているsociety5.0へと、超加速する要因となっている。

 こんなタイミングでこんな事態が起こりうるのかと思い、世界の裏側を覗こうとしてみると、人的な恐ろしいことが渦巻いているように思えて仕方がない。

 

 次回、今こそ、この"平等"という言葉の捉えを問い直し、"十人十色の学び"がいかにして、公教育の"現状の打破"に繋がるのかを考え記載していきたいと思います。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。

 家庭 ×  教育 ×   社会 ×   環境 ×   熱意 = 平和 ・人と人、人と環境を紡ぐblogを目指して。

 「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。

 

 次回 :「SDGsを自分ごとにしていく③  平等とは」

   次々回:「SDGsを自分ごとにしていく④  」

   記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・「高司という男」・「歴史を紡ぐものたち」

 今回のテーマと類似:「「自由」を得た後の選択肢」

 今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。

 @mucchuart