理想と「SDGs」 〜 18個目を考える 〜
Sustainable Development Goals 〜 17個という現状で止めることは危険かも 〜
8年前に奥さんと出会い、3年前に娘が誕生し、自分の生きることへの意識は明らかに変わった。
自分のためだけ、という意識からの脱却である。
誰かを幸せにするには、自分も幸せでないとその思いは長くは続かない。人間はそんなに強い生き物ではない。
誰かを幸せにしたいから、自分も幸せでいる。
この「も」が、2人と出会って生まれた一番大きな意識の変革だ。
その変革は、器の小さい自分に、少し深さをくれた。そして、器から溢れても支えられる新しい器が出てきたような感覚がある。
「人に優しく。」と、言葉では簡単だが、行動にするのには細心の意識と配慮、知識と行動が絡まないとできない。
目の前だけ幸せにしていても、どこかの誰かを傷つけているかもしれないからだ。
家族に、美味しい料理を作ろう!と、はりきって調理する。普段買わない食材に手を出してみるが、必要分以外は利用方法が分からないから処分してしまう。目の前の料理は、彩豊かで豪華かもしれない。
でも、その無碍に扱われた食材の生産者は?それを回収するごみ収集者は?
日本で破棄されたごみを燃やして処理されるのに利用される金額、年間約2兆円。
量にすると、東京ドーム115杯分。その半分が食品。
もちろん税金で行われている。1人1日約40円支払っている計算になる。
「なんだ40円か。」ではない。一年にすると国民一人当たり、約1万4000円。10年で14万円だ。@環境省参考
ここで大事なのが、「えっ、そんなの支払いたくない。」と、思ってしまう人の心を変えていくことだと思う。
「支払いたくない。」という言葉は、自分のことしか考えていない発言や発想になってしまうからだ。このようなことを繰り返していては、この連鎖は決して止まることはない。みんな自分が好き。それはいけないことではない。
でも、誰かを大切にしている"自分が好き"になっていく必要があると思う。
「支払いたくない。」ではなく、自然の恵みを大切にしよう。生産者の思いを大切にしよう。回収される方の労力を軽減しよう。と、自然環境を含めた、他者意識の変換をしていくことが「世界平和」を実現する全員が今からできる1歩目だと思っている。
世界がよくなってほしい。具体的にどうなってほしいか、よく考える。
その具体を考えるようになってから出会ったのが"SDGs"だった。教材として回ってきたプリントに挟まっていたのが最初の出会い。
読み始めたら4時間経っていた。自分の理想に類似している内容が、しかもとことんまで突き詰められて書かれていたからだ。
「ここかも。大切にしたい活動は。」と思い、その後いろいろな資料を読み漁り、実践されている方にアポイントメントを取ってみたりを繰り返した。そのタイミングで、以前も記載した"農林水産省の方や大手企業の方たちの勉強会への参加"は、本当に大きかった。
教科書や資料集を読んでいるだけでは、絶対に感じられない生産者たちの熱く、洗練された考えに触れることができたからだ。
しかし最近、そんな大好きになっていった"SDGsの考え方"に、自分なりの疑問が生まれてきた。
自分の描く理想にとって"この17個でいいのか?"
もう少し突っ込んでみる。17個に限定せず、18個目があってもいいのでは。
むしろ、世界中の人々がこの17個の指針しか見ようとしなくなってしまったら、SDGsの掲げる【だれも置き去りにしない社会をつくる】には届かなくなる気がして、この間少し怖くなった。
SDGsはあくまでも分かりやすく方向を指し示しているだけであって、それをどう体現していくかは"地球人"に問いていると捉えてないといけないと思った。
人の一生で、用意された17個の目標すべてに着手することは、時間的にも足りないかもしれない。
生まれ育った環境や文化によっても、その項目に向かう意識は大きく異なる。
でも、だからこそ自分ごとにするために書かれていることをやるのではなく、自分なりにSDGsを見直すことを、もう一度始めようと思っている。そして、18個目を考えてみることにしてみた。
「SDGs」 〜 18個目を考えるてみる〜
ぜひ、この記事を読まれている方々にも一緒に取り組んでもらえたらありがたいと思っています。
SDGsの「自分なりの18個目」を考えてみる。ということを。
まず、自分が描く願いを書き出し、それが17個のどれに入るか考えてみる。
私もやってみたが、その願いの多くは、17個の項目のどこかに入ることがある。
(例:自分の願い「みんなが笑顔」→ SDGs⑩「人や国の不平等」・・・解釈:みんなが心として平等と思えたら、笑顔になれるから。)
当然といえば当然である。国連に関わる博学者たちが練って作成されたものだから。
でも、ここまでやってみただけでも、私はかなり自分ごとになった気がした。
そして、そこからもっともっと自分に問いてみる。
・そう思うようになった根底は?
・今の自分のコミュニティーは?
・この時代だからこそ、届かせられるさいだいの位置は?
・具体的に取り組んでいる行動は?
・本質として大切にしたいことは? など。
2020年5月現在の私の中で生まれた、18個目は『Earth mindを感じよう。』である。
本来、一番に感謝すべき相手は地球であるという、基本に立ち返る考え・思いのこと。
ねぜ、それを思ったかと言うと、我々人間は、創造力豊かで、生産性もすごい。だけど、その全ては生まれてこなければ体現できないし、地球が存在していなかったらその力は1mmも発揮できないからである。
前回記載したように、手作りは温かいこと。散歩も手作りと捉えてみると、地球を感じるには一番の時間だと思う。
普段、せかせか通り過ぎてしまう小道も、のんびり歩いてみると初めて気がつくことがある。
こんなとこにきのこが生えている。鳥の鳴き声って、みんな違うな。とか。
でも一番素敵なのが、3歳の娘にカメラの"チェキ"を預けて、散歩中好きに写真を撮ってもらう。
すると、絶対自分では気がつけない自然に気がつける。
まず見ている視点が違うし、発想が決められていない。きっと、私自身も3歳の頃はそうだったのかなぁ。
レッジョ・エミリアの言葉にもあるように「子どもは100の言葉をもっている。でも、文化や環境がそれらを奪っていく。」
そんな悲しい世界にはしたくない。そんな虚しい育児や教育はしたくない。
大人こそ、童心を忘れてはいけないと思う。
その童心とは「生まれ育つ地球がもつ、その魅力や不思議に好奇心をもって近づいてみること。」かな。
ここが、snow peak さんが提唱されている「人間性」にも繋がる気がするし、露木志奈さんのmindにも深く学び、共創していきたいと考える私の出発点かもしれない。
なんてことを考える、平日のお昼休憩です。
今回もお読みいただき、ありがとうございます。
遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。
家庭 × 教育 × 社会 × 環境 × 熱意 = 平和 ・人と人、人と環境を紡ぐblogを目指して。
「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。
次回 :「SDGsを自分ごとにしていく②」
次々回:「SDGsを自分ごとにしていく③」
記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・「高司という男」・「歴史を紡ぐものたち」
今回のテーマと類似:「「自由」を得た後の選択肢」
今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。
@mucchuart