“STAY × HOME” なぜ「家にいよう」じゃないのか
横文字なのは、きっと表現が多様になるからかな。
娘の"STAY × HOME"の"おむつチャレンジ"
大人が慎重に息を吹いて、なんとしてでも赤ちゃんにおむつを履かせようと試みているのに、隣で全力で吹く子がいて、おむつの紙があっという間に飛ぶ。笑って1度もおむつを履かせられなかった。
*instagramやFacebookのストーリーにもあげてますので、ぜひ見てやってください。
※YAkkeさん、楽しい材料をありがとうございます。
TED:technology・entertainment・design の略、ideas worth spreading
マインドセットをアップデートするため、職種や立場、もちろん年齢に関係なく、よりよいものをクリエイティブに創り出そう。
そうした志をもつ仲間と共に表現しはじめ、まだまだ小さいけどなんだか革命を起こせそうな気がしているコミュニティーができた。
アメリカが発信しているTEDが魅力的なので、そのまま名を「TED」としている。
・誰も正解はわかりません。一緒にコミュニティを作り上げていくマインドを持ちましょう。
・「自分とは違う」ところに学びがあります。むしろ自分の中の「当たり前」を疑いましょう。
・出入り自由です。かしこまらないでお互いリラックスできる雰囲気を作りましょう。
@高司という男より
この事態なのでオンライン開催し、仲間同士の繋がりで集まった、初めましての方々と挨拶する会が催された。
素敵で魅力的な人ばかりで、自己紹介だけでも心が踊った。多様性に溢れていた。
そして、心の熱い方に出会った。オンラインでも伝わってくるから凄い。中川さん。
「やりたいことは、やればいい。」の第一声に心打たれたし、「人の繋がりがsmart過ぎる。」という言葉に共感した。
「TED」というコミュニティーに、熱い方々が集まり始めていることは事実であり、動きはじめていることへのわくわくとほどよい緊張を感じる。こうした場を運用してくれている高司という男。やはり、そのうちブログに書こう。
"まだ小さいコミュニティー"とは言ったが、大きさは正直どうでもいい。前回記載したように、宇宙規模で見ればみんな一緒くらいだ。
偉くなりたいわけでも、目立ちたいわけでもない。ただ娘たち世代の未来を良くしたい。
(まぁでも、もし宇宙人が見て、「お、あのコミュニティー輝いてるな。」と思ってくれたら、ちょっと嬉しいし、未来にも何かが届くかもしれないな。)
今も大事。でも、未来をよくすること、世界を平和にしていきたいことを中心に、今を大切に過ごしていきたい。
「TED」もそうだが、連日ニュースでもすぐ横文字がでてくる。
STAY×HOME 響きもカッコいいから、よく使ってしまう。
でも、かっこつけたくて何にでも横文字を使っているんじゃないんだなってことを、最近よく考える。
前に、音楽家が「日本は一音に一つの言葉を乗せるが、海外では一音に2つ、3つの言葉を乗せて表現する。」と話していた。
やはり音楽に精通している人は天才だ。自分なりに解釈して納得した。
横文字には、意味が多様に乗せらせるメリットがある。聞き手の思いで、いくらでも表現が変容するんだろうなと思う。
ここに、生活の中で最も使うであろう"言葉"にすら、多様性を兼ね備えている生活している海外の力強さを感じる。
(*生活環境としても、ヨーロッパの建造物の中にいたとき、間違いなく感性が揺すぶられたのを、今でもはっきり覚えている。)
聞き手が変容できるのであれば、一問一答は生まれない。いい意味で、ずれが生じることで互いにより深いコミュニケーションにつながっているのだと思う。
先程取り上げたコミュニティーの中で、山本さんが手紙を数カ国の言語に直した話をしてくれた。担任として学級通信というものを、年間通して100通くらい書くが、一度たりとも英文で記載したことはないし、フランス語なんて3つくらいしか知らない。
世界を見ていくために、ヒントがもらえた気がした瞬間でもあった。
よく「今は、なんでも横文字にしちゃうよね。」という言葉を耳にするが、それにも意味を身言い出したい。
一つの言語で、無数の意味を発信できる言葉を選択することで、より多くの考え方が生まれる。でも、日本の良くないところは、日常でそうした言語感覚にない中で、流行として言葉が先行してしまうことにあるのだと思う。
STAY×HOME みなさんは、どうお過ごしですか?
レッジョ・エミリアの願いを環境に落とし込んだ後
STAY×HOME というか、娘との図工が楽しい過ぎていろいろ取り組んでいるが、絵を描いた時のことを。
タイトル「スシロー」
ここなのだと思う。多様性を受け止められるかどうかは。自分で描いておいて、自分でタイトル付けておいて、自分で壁に飾っておいて・・・階段登るたびに、めちゃめちゃ気に入っているから観るんだけど「スシロー」って…。ともなる。
でも、自信もって付けたからタイトルは変えない。
レッジョ・エミリアの本質を、自分なりに解釈し、図工室を"アトリエ"か"Labo"、"mucchu room"など、呼び名をどれにしようか悩んでいる。大掃除もようやく終わりかけ、レイアウトに取り掛かっている。丁寧に集めてきた材料も多様な画材もだいぶ揃ってきた。
もちろん、レイアウトをするときは必ず、そこに子どもたちがいることを想定している。
好奇心の高まりや創造性の広がりを狙うレイアウトになってきたように思う。(*理科の先生がペンギンの剥製をくれたのは大きい。)
壁も塗料で"巨大落書き黒板"になってきた。「らくがきはArtだ。」って落書きしてきた。
環境設定していて、想定が進めば進むほど、多様性の導き方に意識がいく。早く子どもたちと話がしたい。
図工室で模擬に動いていると、想像を通り越して空想・妄想になりかけているようにも思うときがある。
でも、「スシロー」ってタイトルつけて、奥さんに絵の説明してくらいだから、それなりに誰の作品でも許容できそうな人間ではある気はしている。
でも、ただ「いいね。」って言うのはしたくなくて、完成よりも名の通り"いかにmucchu(夢中)だったか"、を伝えてあげたい。
記録しておいて見返して、次につなげられるようなノートにしてあげたい。
夢中の時は、先は見えない。先が想像できているときは、まだ冷静なのだと思っている。
だから、作品ができたときに、「え、僕はこんな様子だったんだ!」・「わたしいい顔してる!」なんて振り返れて、どれだけ"もの・こと・人"と対話し、共創し、関われたが振り返られるようにしていきたい。
環境設定は「夢中になれる空間作り」に過ぎない。
大切なのは、その空間の中で始まる物語りだから。
そこにいる自分は、誰よりも作品や人の感性に夢中になっている人間でいたいと思っている。
図工室の壁に【Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz Picasso】と、今度描く。じゅげむを夢中で覚えたように、円周率を何度も言い直したように。
無駄かもしれない、でも人の一生に実は無駄なことなんて一つもない。
そう思える、心の持ちようが大切なのだと思っている。
*パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ 良かったら一緒に覚えましょう!笑
今回もお読みいただき、ありがとうございます。
遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。
家庭 × 教育 × 社会 × 環境 × 熱意 = 平和 ・人と人、人と環境を紡ぐblogを目指して。
「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。
次回 :「レッジョ・エミリア × Camp 」
次々回:「SDGsを自分ごとにしていく」
記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・「高司という男」・「歴史を紡ぐものたち」
今回のテーマと類似:「「自由」を得た後の選択肢」
今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。
@mucchuart