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[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

社会大変革と公教育

snow peak が大好きだ。

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「人生に野遊びを」このフレーズを聞いたことはないだろうか。

 outdoorブランド【snow  peak】が掲げる理念の一つである。

 

 society1.0は狩猟の時代であった。

 

 小学6年生を担当することが多かったため、歴史の学習は自然と詳しくなり、そして子どもたちと共に好きになっていった。

 日本史を知り始めると、必ずと言っていいほど「世界史」に興味が湧き、各国の政治の仕組みが知りたくなり、過去から紡ぐ現代の世の中の動きに目がいくようになる。ヨーロッパの各国の独自性により、多文化が多くの国々に影響を与え、アメリカがその要素を抽出し世に送り出し、それらの動きに膨大な人力で中国が稼働すること、そして慎重かつ丁寧に日本が反応していくことも、どれも見ていてとても楽しい。

 そんなことまで社会の授業中に一緒になって討論していると、教科書は進まない?というか、進み方がアトランダムになりがちである。でも、そんな進み方を嫌がる子はあんまりいなかったように思う。自分の好きなことと歴史を絡めて追いかける展開も面白かった。

 

 もちろん、「歴史の学習」という言葉を、6年生の初めに聞くと反応はバラバラである。始まる前から、なぜかクラスに1人はいる歴史マニアはすでに江戸時代の話をしているし、まだ始まってもないのに、もはやアレルギーが出そうなほどに嫌がっている子もいたりする。

 別に好きになってほしいとまでは思わないが、「歴史を知ることは自分を知ること」と自分ごとに置き換えられるようになると、よい学びの分野の一つになるかな、とは思っている。

 そんな6年生に初めっから「どうぞ、自分らしくお好きに取り組んで」の授業はもちろんしない。まずは、興味・関心を抱いてほしいと思っている。

 そのために、大体決まって年度始めにすることは、朝のホームルームに歴史に関係しそうな人物のお面を被って教室に入っていくことが多い。慣れてくると、真面目にホームルームをやっている6年生に「もう少しで先生の番になるなので、そのまま待っていてください。」とか言われ、お面のままクラスの端っこで待機していることもしばしば…、(最初の頃は、入っていくや否や満面の笑みを浮かべてくれたのになー)慣れとは怖いものです。でも、そんな信頼関係も嬉しかったりするものですが。

 

 大仏のお面を被り、15枚ほどのクリップボードをもち、タイミング良く次々めくっていく。大仏は喋りませんからね。

 大仏に関わるクイズや課題を出したり、時事問題を出したりして話題提供をする。その中から生まれた課題を共有して、1・2時間目はそれを調べたり、話し合ったりする時間に急に変更になることも。面白さから入ると、自然体は作りやすいと思っている。構える必要がないから。

 ドン・キホーテで見つけた"トランプ大統領のお面"は体系的にも似合うのか、ミニトランプとして可愛がってくれる優しい子もいた。

 安倍さんとの電話対談を演劇してみたりすると、政治や歴史に自然と興味をもってくれるようになった気がする。池上彰さんがよくやっている番組でも、とても分かりやすい模型が使われるが、ああいったものは親しみやすさがあるのだと思う。

 

 歴史学習初期の頃に、約2mくらいの紫色のテープと、それにくっついた15cmくらいの白いテープを黒板に貼って、「なんでしょうか!?話し合って1時間でクラスとして答えを出してください。」という授業をよくやる。

 この話し合いは見ていて本当に面白い!はじめは疑問の声しか上がらないが、誰かが何か言い出すとあっという間に答えに寄っていくからだ。顔に出さないように座っているが、ついニヤついてしまうと「だぶん答えに近づいてるよ、笑っているもん。」なんて言って、こちらの表情を見張る部隊が設置され、少しの変化も見逃さず、逐一報告されるのでとても恥ずかしくなる。

 テープの境目を「端っこがビックバンだよ、宇宙誕生と地球誕生の境目だと思う。歴史の長さから言って。」根拠まであってすごい。

 「いや、地球誕生から人類誕生の境目じゃない。」

 「短いのが平成で、長いのはそれまでの歴史の長さかも。」などなど。

 もう全部正解でいいです。笑 と言いたくなるほど、多様な考えに圧倒されることが多い時間です。

 

 でも、歴史学習は「事実+想像=創造力」になるとも思っているので、一応は答えも伝えます。

 もっと正確に子どもたちには伝えますが、ざっくりいうと「10:1の関係で長い方が縄文時代・短い方が弥生時代から約20時代も含む平成、令和までの時代の時間の長さを表している。」と。もっと、ちゃんと計算した用紙を子どもたちには渡しますが、説明が長くなるので端折ります。

 この答えには結構驚きます。縄文の長さにも、それ以降の時代の変化の多さにも。

 歴史の授業の話はしたいものが多過ぎるので、またまとめて掲載したいと思います。

*記載予定「歴史を紡ぐものたち」

 

 上記のことから何が言いたいかというと、それはsociety1.0の狩猟時代がいかに長く繁栄したかということ。約2万年ですもんね。

 その時代を生きた人々にとっては「人生に野遊びを」ではなく、「人生は野遊びだ」だったのかもしれないということ。

 ここに歴史を紡いでいくことの重要性があると強く思っている。

 それを具現化しようとしているから、snow  peakが大好きです。

 

宇宙規模で見たら、どんな功績も変化も些細なこと

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 "宇宙と一体になる。"そんなオカルトのような、でも実際にそんな気がした瞬間がある。

 それは、北岳(日本で富士山に次いで2番目に高いに山)に登頂し、テント泊した日の夜中のこと。

 日本には、ここより高い地上は、もはや富士山しかない。そのことにも感動したし、富士山に登った時よりもなぜか、地上の高さに意識がいったことをよく覚えている。2番であることの魅力なのかな。遠近法で、富士山を見下ろしているように見えたからかな。

 登頂したその日は快晴。その日の夜中に目をさまし夜空を見上げると、誇張することなく、本当に星を掴めると思った。

 気付いたら手を伸ばしていたし、見惚れて口が開きっぱなしになっていた。

 宇宙に興味をもったのは、そこがはじめてだった。

 それを振り返っても、やはり興味・関心は「体験・経験」なくしては語れないと思う。机上だけでは、どうしてもあと一歩足りなくなる気がする。

 あの瞬間、宇宙の一部なんだなーって思った。と同時に、悩んでいることが小さく感じすぎて、本当に馬鹿らしくなった。

 たぶんあの日あたりからだと思う。あんまり悩まなくなったのは。

(どこかの職場や住居などで、どんな内容かは分かりませんが、自分らしく生活できていなかったり、何かに常に悩まされ自分自身の力を発揮できていないと感じていたりしても、あなた自身が変わらずとも、情熱をもったあなたの考えを必要とする環境は、世界のどこかに必ずあると思います。必要とする人や土地・環境がきっとある。

 でも、宇宙が広すぎて、そうしたことに出会えることが奇跡なだけなんだと思う。だから、自分がいけないんじゃなくて、出会うチャンスを見逃さないこと・そうしたことに出会えるように行動することが大切なんだと思う。)

 

 社会が大きく変わろうとしているが、それすらも小事なのかもしれない。

 9月入学?だから何?と問いたい。

 [いつ学校が始まるか]が大切なのではなくて、【いつ一人ひとりの思いが認められ、形になって、世界が明るくなっていくのか】の方が、数百倍大事なことだと思っている。

 社会が大きく変わっても、変わらないことは大切にされていくべきことなのだと思う。

 それは形式的なことではなく、人のもつ心の話であると思っている。

 

    今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。

 家庭 ×  教育 ×   社会 ×   環境 = 平和 ・人と人、人と環境を紡ぐblogを目指して。

 「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がしている。

 

 次回 :「レッジョ・エミリア × Camp 」

   次々回:「SDGsを自分ごとにしていく」

    記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・【「自由」を得た後の選択肢】・「高司という男」・「歴史を紡ぐものたち」

 

 今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。

 @mucchuart