Art communication = education × mucchu × artlife’s @design blog.

[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

レッジョ・エミリアと”育児”

f:id:mucchuart:20200430095124j:image

気力を促す最大要因は"環境"

 何かをしたくなるためには、目標を立てたり、結果を求めようとしないと行動にはつなげられない。

 そんな風に難しく考えてしまうと、動き出すことすら億劫になったり、面倒くさくなったりしてしまうのかもしれない。

 そうでなくて、もはやそれを思わずしたくなってしまう"環境"に自分の身を置いてしまえばいいのだと思う。

 

 2017年の4月に撮った写真。

 芝公園でボーロを食べる娘。

 

 たった1枚のブランケットだけをもって出かけた。でも、十分だった。

 その1枚が我々をごろごろさせる。というか、ごろごろしたくてしたくてたまらなくさせたのだ。

 みんなの公園であるが、きっとそのブランケットのスペースだけは、自分たちの"空間"に変わったのだと思う。

 一体何時間ごろごろしていたのだろう。その間にも、遠くから聞こえてくる、鳥の鳴き声や人工的な車の走行音、公園で遊んでいる人々の笑い声や泣き声、風が吹き抜けば木が揺れ、自然が音楽を奏でてくれる。そんな空間にはブランケット1枚ぐらいが丁度いいのかもしれない。

 環境設定は、やる気だけでなく、時間すらも操れるようになる。

 以前に掲載したように、「ものが多いと、時間を無駄にしているよ。」と、アドバイスをくれた今は福岡に住んでいる坂部兄さんの言葉。 

 その時の自分には、思いっきり響いた。

 何かを為し得ていくのに、まず向き合わなくてはいけないのは"時間"だと、最近思うようになった。

 このblogを書くことも、「書きたい!」っていう思いもあるし、書くためのdeskも整えたし、機材もある。

 でももし、それらを用意していても、それに迎える時間がなかったら機能しなくなってしまう。

 その時間を一番にくれているのは、他でもない奥さんであることは間違いない。安心して仕事に行けるのも、食事が食べられるのも、娘が健やかに成長してるのも。

 時間には限りがある。が、それに焦ってはいけない。「歩く速さで、生きていきなさい。」露木さんが大切にしている言葉だ。

 「自分の、自分なりの、自分だけのペースで行くこと。」なのだと思う。

 私は、実際の歩く速さが驚く程遅い。友だちと歩いていても置いていかれることもしばしば。

 でも、ただ遅いんじゃないなって思っている。歩きながら色々なものを見たくなるから、聞きたくなるから遅いのだと思う。

 それが自分の「歩く速さ」でいいと思っている。もちろん"今!"って思ったら全力でも走りますが。

 

 時間と向き合うことは本当に大切で、それがその人の人生を作り出していくように思う。

 でも、その時間は、伸ばしたり、縮めたりすることは魔法でも使えない限りできないが、上手に有効的にしていくことはできる。

 それが"環境設定"だと思っている。

 

環境設定により、行動にでる気持ち・時間・発想力に差が出てくる

f:id:mucchuart:20200430102643j:image

 何のために整理整頓するのか。

 私も、今まで特別なにかを意識することなく、ただあればよいと思っていた。でも、部屋のディスプレイ一つとっても、変えてみるだけで自分の生活が一変していくことに気がついた。

 ただ便利になるだけじゃない。その空間にいくと「今日はこうしてみよう。」「ん?これはあれとつながるな。」なんていうように、次々と発想に繋がっていくようになった。それからは、片付ける時も"自分がそこにいること"を意識して、よりcreativeに物事を捉えられるような空間にしていくことを大切にしている。

 それは自分にとっての話だけではない。毎年、娘の誕生日は「DIY家具」をプレゼントしている。kitchenやcafeなどである。インターネットでも素敵なのがたくさん掲載されいるが、真似るだけでなく、自分の娘に会うkitchenにすることを意識している。

 娘もいよいよ年少さん。

 自分で洋服を選んで着替えることも、クリエイティビティーを育む大切な時間だと思う。よりよりディスプレイの仕方はもっとあるのだろうけど、それは後々娘がやることだと思っている。それよりも今は、自分のものと認識し、大切にする気持ちを育成することが優先だと思う。

 クリアケースに自分で服の種類を書いたシールを貼る。それにより娘は、「自分の・自分なりの・自分だけの空間」を手にしたのだ。

 なので、なにも言わずとも、そこにいって洋服を選ぶようになった。時にこちらの常識では絶対に合わせないであろう「え?パリコレですか?」と思わせる組み合わせを見せることがあるが、自粛で家を出ることはないので、なかなか世にお披露目することができずにいる。笑

 

レッジョエミリアの自分なりに解釈した 大切にすべき"本質"

 レッジョ・エミリアは"自然体"という言葉がよく似合う。

 そこには教育や育児という視点すらも、あからさまにいれてしまうのではなく、それすらも自然体に取り込むこと。

 そこに魅力があるように思っている。

 だから一番に大切にされることが"創造性"なのだと思う。

 STEAM教育でも、自身の興味・感心からスタートする。でも、それを投げっぱなして"自主性"という言葉に任せていては、なにも始まらない。

 幼少期からいかにして、たくさんの体験・経験をして、いかにして感情に触れてきたか。

 まずそれらがなくては、自主性なんてものは決して生まれてはこないと思う。

 でも、そうした感情は幼少期に限定したものはでないことに最近気がついた。以前、記載した"現代は多様な刺激物(情報やもの・こと)で満たされている"ということから起こるマイナスもあるが、それを逆手に取り、大人でも挑戦できていない分野が無数に広がっていることにも目を向け、新たな創造性に挑戦できることもある。

 デザインや創造などのARTも、人工と自然を混ぜ込むアーバンスタイルも、読書やblogなどへの挑戦も…

 大人だから、もうそうした新たなことの獲得はできない。なんてことはなく、それらに向かうことは今からだってできる。

 でも、そこで大切になってくるのが"時間と環境設定"なのだ。

 

 3年間という時間の育児を通しても、そうしたことの重要性はとても感じている。

 創造性に大人も子どもも関係ない。

 だからこそ、動きたくなる環境に自らの身を委ねださせることができれば、あとは自然とゆっくりと歩み始めていくのだと思う。

 

 思わず手にしたくなる、何度も見たくなる、次を想像したくなる空間作り。

 それは、これから行おうと思っている図工の時間が始まる前に整えておくことの一つであり、育児というかけがえのない時間で最も大切にしていきたい行動の一つにしていきたいと思っている。 

 世界に広がっている環境問題も、そうした"環境の整理整頓"ができれば、人の意識が変わり変化していくのかもしれない。

 (*ごみ箱に分別のカードを最初に貼った人は凄いですね。)

 

 レッジョ・エミリアのもつ本質。

 それは、子どもにだけでなく、大人も思い出すべき大切な視点や観点が詰まっていると思う。

 そうして「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がしている。

 

    今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。

 家庭 ×  教育 ×   社会 ×   環境 = 平和 ・人と人、人と環境を紡ぐblogを目指して。

 

 次回 :「レッジョ・エミリア × Camp 」

   次々回:「SDGsを自分ごとにしていく」

    記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・【「自由」を得た後の選択肢】・「高司という男」

 

 今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。

 @mucchuart