「レッジョ・エミリア × Camp ②」〜 手作りって温かい 。〜
手作りの良さ
STAY × HOMEの期間中、何かと"手作り"で行ったものが多い。
日頃なら、時間がないことを言い訳に、何かと売っているもので済ませてしまうこともある。
料理やインテリア・雑貨の購入、通勤も(車移動のガソリン代を金銭と置き換えて)・・・などなど、日頃、当たり前に金銭で時間を買っていたことにも気付く。
決してそれがいいとか、いけないとか言いたいのではなくて、手作りということを通して、"人やこと・ものと、向き合いながら過ごす時間"ができたということ。
真っ直ぐから向き合ってみるからこそ見えてくることや、それぞれの本質に意識をもっていこうと思えた。
この意識の変革は、一生大切にしようと思う。
今後、この事態もいつの日か終息を迎え、前と似た生活に戻ったとしても、こうした意識は変えずにいようと思う。
・どんなことにも、意味が必ずある。
・"本質"に立ち返ること。 この2点は財産になる気がする。
また、手作りのもう一つの良さとしては、"自分たちに丁度いいもの"ができるということ。
部屋に溜まった文庫本や雑誌などがたくさんある。積んで置いておくと、下の方にある本はまず見なくなってしまう。
でも、売っている棚を購入しても本の大きさがまちまちのため、収まりはしそうだが、なんとも不格好になってしまったり、デッドスペースができてしまったりもする。スマートじゃないとなんだか、やる気も・・・。
スタイリッシュな収納にすることで手に取りやすくなり、読みやすくなると思う。
まさに環境設定が好奇心を育てる、最近大好きな"レッジョ・エミリア"の考えに近い。北欧の幼児教育は日本の30代男子にも、確実にいい影響を与えている。笑
適当な木材を購入し、持っている本の特徴を考え、適当に採寸し、適当に飾りながら作る。ここでいう「適当」は適してる方である。
すると、「世界に一つの本棚」が完成した。物づくりの楽しさはここに詰まっている。
今年の図工で、一番感じてほしいことを体感できて、心から嬉しい。何度もその本棚を見ては、いろいろな本や雑貨をわくわくしながら収納するのが止まらなくなっている。
(やはり愛着というのはいいものですね。)
休校中、2枚の図工通信を出した。その中に、「学校が始まったら、みんなといられることを存分に楽しもう。そして、みんなと一緒に夢中になれることをたくさんしよう。」という言葉から始めて、「まずはみんなのことが知りたい。4時間でできる『世界で一つの〇〇』を作るための計画と材料を集めてみてね!@mucchu art」と記載しました。
学校に電話をくれた子がいる。何か分からないことがあったのかな〜。と出てみると、「先生!イラストを夢中に書いていいですか?」という質問ならぬ、決意表明をいただいた。もう最高だった。
学校がないことで見えてきたこともあるが、学校があって見えてくることが必ずある。
図工専科。初挑戦だが、「アートは人の心を豊かにできるはず。」この、願いを大切に、一人ひとりの夢中と向き合う日が楽しみで仕方ない。
「レッジョ・エミリア × Camp ②」〜 登頂して珈琲を飲みたい。〜
環境が人の好奇心を駆り立てる。それを強く実感するのが"山頂珈琲"の時間である。
小学生の頃の林間学校や何かの付き添いでいった登山を除き、自分たちで計画し、麓までいき、登頂・下山まで行った初登山。
それは、小学校からの友だちの羽ちゃんと行った箱根の名峰「金時山」である。あの年齢にしては、大冒険だった記憶がある。
登山のいろはも知らずで挑戦したが、若さからか、あっという間の登頂だったような気がする。きっと、その大冒険のわくわくが心を終始踊らせていたのだと思う。
そこから登山の楽しさを覚え、素敵な先輩たちに出会い、20歳くらいから本格的な山にも登り始めるようになった。当然、金時山の時とは装備も違えば、志も違くて、でもわくわく感はずっと一緒。やっぱり好きなことに年齢は関係ない。
とはいえ、まだ20歳。そんなにお金もあるわけではないので、安めのザックやトレッキングシューズを手にしたくらいだった。でも、身一つでも安心して付いていける先輩たちだったため、登山に夢中になっていった。
そして、何度目かはさだかではないが、いよいよ出会ってしまった。
そう「山頂珈琲」である。
山梨県の名峰"瑞牆山"、巨大な岩岩の間を縫って歩く山道は迫力満載。3mはあろう岩を、少ない突起を見つけしっかりと一歩一歩登っていく。初めての岩登りで、とてもわくわくしたことを覚えている。オベリスクが有名なお隣の金峰山も含め、新緑も深く、自然豊かな山が連なる。その辺り一体の山々の特徴は、山頂部分に着くと、一気に視界が広がり、巨大な岩のオベリスクが登場することだ。
そこに腰掛けて山下を眺めると、よくこんなところまで来たなぁ。と自ら感心してしまうほどだった。
疲れを癒し、もってきたおにぎりを食べようとすると、目の前のお二人が何やら器具を取り出す。
大窪さんと長谷川さん(長谷兄)である。
そのお二人は、なんと山の天辺でお湯を沸かし始めたのだ。あの頃の私には、衝撃以外の何者でもなかった。
(今では「山飯」なんてカッコつけて、よく調理をしてしまうが・・・。天狗岳にホットサンドメーカーはもう、もっていかない。)
そして、大窪さんはレトルトのカレーとご飯を温め、「食うか?」と一口くれた。もはやここは銀座の高級店か!と思ってしまうほど、鳥肌を立たせながらカレーを食べたのは、あれが初めてだ。
その後、のんびり岩に座っていると長谷兄の方から何やらいい匂いが。なんと「珈琲だ。」
20歳そこそこの時は、コーヒーより牛乳やジュースの方が好きだったが、そのランキングが大きく変動した。
自らの足で登ってきた山の天辺で、あたりの山々を見ながらいただく"手作りの珈琲"。これが私が登山に引き込まれた所以の一つになったことは間違いない。
今では、珈琲が好きなので、豆屋さんに行って選び、ミルで挽いて、フィルターで淹れたりもする。いろいろ試して飲んでみて、深入りが好きということが分かったが、体調が良くないとふらっとするときがあるから飲める条件も満たすと考えると、やはり深煎り珈琲は好きである。豆の原産地に行ったこともないし、生の豆を煎ったこともないけど、珈琲が好き。
だけど、やっぱりあの日、あの場所で飲んだ珈琲の味は、忘れられない。
このお二人の作業は、間違いなく"手作り"だった。なぜなら、温かかったからだ。
心を温めてくれるもの、それが手作りだと私は思う。
値段に決して変えられないもの。そういうものこそ、人の心を温めて、豊かにすると思う。
環境が人の心を掻き立て、好奇心を煽り、感情を豊かにする。
レッジョ・エミリアの願いは、たとえ国や文化・環境が違っていても関係ないのだと思う。
【イタリアのような素晴らしい建造物や文化だからできること。】と勝手に決めつけてしまわず、ちょっと顔を上げてみる。
心のもち方一つで、そうした温かな環境と出会えるはずだと、私は思う。
こんな事態の中だからこそ、ちょっと顔を上げて、みなさんもそんな発見を見つけて欲しいと思っています。
今回もお読みいただき、ありがとうございます。
遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。
家庭 × 教育 × 社会 × 環境 × 熱意 = 平和 ・人と人、人と環境を紡ぐblogを目指して。
「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。
次回 :「SDGsを自分ごとにしていく」
次々回:「SDGsを自分ごとにしていく②」
記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・「高司という男」・「歴史を紡ぐものたち」
今回のテーマと類似:「「自由」を得た後の選択肢」
今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。
@mucchuart