“理想論”で止まってしまわないように
不器用でも、かっこ悪くても一歩を踏み出してみる
「あなたは何がしたい人ですか。」日々、自問自答している。
世界を平和にしていきたい。
そのために…
・自分が笑顔でいられる楽しいことをいつも考える。
・一番身近な家族が笑顔で生活できるように、大切なことを行動に移す。
(・おはようの挨拶を大事にしたい!家事は笑顔と安全を生み出すから、いくらでもやりたい。)
・どんな場でもそこにいる人を楽しいことに巻き込めるものは巻き込み、笑顔の連鎖が起きて欲しい。*バタフライ効果期待。笑
・楽しそうなことをしている人を見つけたら、やっていることに興味をもち"にゅる"っと入っていく。
・社会変革に対応できる根拠を模索する。今、オンラインの活用意義を、ここに一番感じている。
普段、絶対聞けない話がさらっと目の前で聞けるこの時代に感謝。
・平和を目指そうと掲げる、SDGsの動きを調べたり、やってみたり、落とし込めるようにアイデア化してみる。
・そうして自ら納得・見解・解釈したことを「本当に必要なこと」と勝手に打ち出し、blog に残したり、仲間や職を通して世に発信し、共感・共同、フィードバックをもらいながら、もっと楽しくなることを考えていきたい。
こんなことが今、生活の中でスパイラル化している気がする。
この渦の原動力は「行動」にあると思っている。
理想論はいくらでも言える。
無限に話せる。
でも、社会のニーズを置いていったら独りよがりになってしまう。
理想を語り、自らを鼓舞することは必要だと思う。
でも、誰かと語り合ったり、誰かに宣言したりしたら、決してマジックワードになってはならない。
"不器用でも、カッコ悪くてもいいから一歩目を踏み出してみること"
大事なのはここかな、と思っている。
踏み出すには力も、時間も、精神も、努力も必要になってくる。
でも、それが先人の作ってくれた現代にあぐらをかかず、動き出すための最初の労力なんだと思う。
現実でも、立ち上がる瞬間は「よっこらしょ。」とか、おじさんっぽく言ってしまうけど、立ってから「やっぱり立たなきゃよかった。」なんてことは考えない。(たった瞬間に頭上にあるものに頭をぶつけたら話は別ですけどね。)
お風呂に入るのだるいなーと思っていても、入って出た後、「あー、やっぱり入らなきゃよかった。」なんてことは考えない。
動いてみて、初めて感じることを大切にしていきたい。
お疲れ様です。
突然ですが、明日土曜日、お時間ある方で
「アフターコロナ。社会の再開後、職場や世に(子どもや同僚)に提示、発信してみたいこと。」として、プチ発表会しませんか?
この事態で、例年とは違う始まり方を強いられることが多いと思います!
だからこそ、慣行なことではなく、やるやらないはもちろん別にして、新しい発想をお互いに増やしましょう👱🏼♂️
本当に軽い気持ちでやりましょう!
制作しなくちゃなんて思わず、言葉だけでも、手書きのメモでも📝アイデアの共有をしましょう!もちろん、聞くだけの参加もOKです!
例:小学校なら教材でも語りかけでも、学級経営でも、学校改革でも!
みなさんが提案すること、すべての話を認め合いながらオンラインTedでアイデア共有しましょう!
提案者には、アドバイスではなく、称賛を^ ^○スケジュールは、明日の朝9時に一度参加の方で挨拶を交わし、夕方8時〜9時の1時間で共有しましょう^ ^
朝も、夕方も可能な参加時間だけで構いません!途中入場、退場もちろんOKです!*参加の方は私の個人ラインに、その旨お伝えください!
Ted LINEですと、混み合ってしまうので。
参加、不参加どちらも全く気にしないでください^ ^ @mucchuart
本日、オンラインで行動してみる。きっと不器用なことが露呈するが、それも大切な一歩目の労力だと思える。
「レッジョ・エミリア × Camp 」① この掛け算の無限性にむっちゅ(夢中になること)したい。
インドアな奥さんも、環境が整っている状態でoutdoorご飯を食べると「美味しく感じる。」と言ってくれる。
本当に嬉しくなる一言である。
outdoor好きは、自分の趣味を人に押し付けようとしすぎるって、前にバカリズムさんがアメトークで言っていた。
あの一言には笑った。自分のことを言われていると思ったアウトドア派が全国にどれだけいただろうか。
「インドア派は、あなたに何かをお勧めなんてしないよ。」その通りだなって思った。笑
Campあるあるの"場の設営問題"。それを聞くと、本当にもったいな過ぎる!といつも思ってしまう。
いらいらしながら設営しているグループを見ると手伝いたくなる。
その設営時間ほど、自分たちの環境を整えて、その日に感じたいことを全力でできる空間を作れる瞬間はないはずだから。
何もしないをしにいく。自分がもっとも何もしなくていいような空間にしていく。
今回は「ハンモックに揺られたい。」で考えたい。
そこには準備が必要になってくる。(でも、ハンモックに揺られながら、何しようかなを考えてる時点で、至福なよだれものな気がしますが。)
そのハンモックを、これ以上ないって場所を林道をかき分けて見つける。
その最中、林の恵みに出会ったり、自然の音楽に酔いしれたりしたら尚、最上の至福時間だと思う。
そうして、ハンモックを設置し、近くに読みたい本や飲みたいものを置き、日除けのブランケットやちょうどいい弾力・高さの枕になるものを用意する。
周りの風景を見渡して、「あぁ、このなかでごろごろするのかぁ。」と酔いしれてみる。
そしてハンモックに身を委ね、目を瞑り、音を聞き、揺れを感じてみる。
「あぁ、もう何もしなくていいんだ。」
その時間を満足いくまで楽しんだら、あとはお好きに過ごせばいいのだと思う。
このことは、登山でもよく起こる。きつく険しい山に立ち向かっていると「自分はいったい、こんなところで何をしているんだ。」ってなることが山ほどある。
でも、山頂にいったときの「あぁ、もう登らなくていいんだ。」の、あの感覚が大好きだ。*次回記載「登頂して珈琲を飲みたい。」
どんなことも、一歩目を踏み出すことが大切で、そこから見えてくる世界観との対話を大切にしたいと思う土曜の朝でした。
今回もお読みいただき、ありがとうございます。
遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。
家庭 × 教育 × 社会 × 環境 × 熱意 = 平和 ・人と人、人と環境を紡ぐblogを目指して。
「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。
次回 :「レッジョ・エミリア × Camp 」 ② *書きたいことが増えすぎていたけど、ハンモックのおかげでこちらに来れました。
次々回:「SDGsを自分ごとにしていく」
記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・「高司という男」・「歴史を紡ぐものたち」
今回のテーマと類似:「「自由」を得た後の選択肢」
今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。
@mucchuart