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[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

「SDGs」を自分ごとにしていく 〜 12 つくる責任・つかう責任 〜

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「手段が目的化してしまわないように。」ものごとへの捉え方で存在価値も変わる?!

 昔、ロンブーの淳さんが深夜の番組で「タイムマシンを作るには」ということを、専門家と面白おかしく談議していた。

 もう10年以上前のことだが、インパクトが大きかったから大体覚えている。

 その中で、"時間は絶対じゃない"というような話があった。仮に宇宙も含め、存在しているもので絶対をあげるとするなら"光"である。

 これよりも速いものはないから。魅力的な話だったな。

 右手と左手を上げ、片方の手を振る。

 振った手の方が"時間を長く使えている。"という感覚になりますか?

 この問いに、私は瞬間的に「はい。なる。」と思ったのだ。

 この前提を理解した上で、光速ロケットに電波時計を積むと、そのうちその時計は未来にいく。という理論だった気がする。

 すごく納得したことも覚えている。

 ドラえもんのタイムマシンのトンネル内の時計がねじ曲げられているのも、あの4次元ポケットの道具がすべて時間軸をいじってできていることもふまえ、そうした時間を弄れるものと捉える考え方は、そんなに摩訶不思議な話でもないような気がしている。

 もしも、光速で飛ぶロケットができ、それに人が乗れたら、もしかしたら未来に行けるかものしれないですね。

 

 今、マルチスキルを得ようと、自分なりに家庭、職場、コミュニティー、オンラインなど、それぞれの場で新たな楽しみを模索している。その中で、コミュニティーという視点について考えたい。

 はじめに「手段が目的化してしまう。」ということが、どのコミュニティーでも一度は陥ってしまう落とし穴である、ということを勝手ながら想定したい。

 本質的に人が求めていることは、至って単純であり、シンプルなものだ。

 例えば、「楽しい。」とか「幸せ。」とかいうことだけなんだと思う。

 それを求めようとして、様々な手段を模索していく中でその本来求めていたものが、手段の多さを追うことに夢中になり見えなくなってしまうことがあるのだと思う。

 初心はなんでしたか?って研修でよく聞かれるが、それが大事なんじゃない。

 立ち返ることはいいことだが、後退することではない。

 初心を聞くんじゃなく、今あなたがしていることは、どこにつながっていますか?つなげますか?の方がいいと思っている。

 なぜなら、本質は問うものじゃなく、すでにあるものだと思うからだ。

 何もしていない人なんていない。みんな何かしている。本当なら、もうそれで十分な気もする。

 よりよい未来ってなんだろう。それを作る使命感に追われ、自分や周りが楽しめない状態になっているなら、いっそやめた方がいいのかもしれないな。ということもよく考える。

 

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 と、立ち返りながら「つくる責任・つかう責任」について考えたい。

 自分なりの解釈だが、これは何も物のことだけをいっているのではないと思っている。

 システムやコミュニティーなども、その対象と考えていきたい。

 society1から進む中で、もっとも変化してきたのは物の質もあると思うが、人が織りなすコミュニティーの変化だと思う。

 このコミュニティーの変化を生み出す要因が「システム」だと思う。

 だから、一つのコミュニティーを作るにも、そこには責任が生じてくる。

 参加する人全員が満足いくことを常に考えること。それは最低限必要な「つくる責任」だと思っている。

 

 一枚の大きな模造紙の端っこに絵を描いて切る。あとは捨てる。

 

 一枚の大きな模造紙の白いところが一箇所もないまで絵を描き、ギャラリーに出展し、経年劣化で紙が破けるまで飾られ捨てられる。

 

 同じ模造紙一枚かもしれない。

 

 コンビニやスーパーで、「袋入りますか?」という言葉がなくならないと、プラスチック問題は絶対に解決しないと思う。

 消費者が意識を高く「袋は入りません。」と答えても、生産された袋が減るわけじゃない。

 結局、消費者が捨てるか、いつの日かその店が捨てるかになるしかないのだ。未使用ビニール袋を貯蔵しておく倉庫なんてあるわけないのだから。

 なので買い物のあとで「袋はありません。」と言われたら環境問題への関心の変化が見えたなって、きっと思うのだと思う。

 

 今はつくる側も10・つかう側も10の状態。

 この10:10の状態を1:1を10つかうにできればいいだけの話なんだと思う。

 つくるもつかうも最大値で行なっているから、ものが溢れる。感性も失われる。工夫もしなくなる。

 つくる側が1しかつくらなかったら、目の前にあるものをもっと大事にする。

 今回のマスクのように。今までマスクを洗ったことなんてありましたか?

 

 マスクでいえば、消費者が1を10つかっている状態なんだと思う。

 物の貴重性も含めないと、人の意識は変わらない。

 1のものを、最大限まで利用する。愛着がわく。工夫をする。

 

 コミュニティーを大事にしたい。そのためにどんな視点を大切にしたらいいか。

 もっと深く考えていきたいと思う肌寒い春の夜でした。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。

 家庭 ×  教育 ×   社会 ×   環境 ×   熱意 = 平和 ・人と人、人と環境を紡ぐblogを目指して。

 「大切なことを、大切にできる人」が増えていけば、世界が抱える課題は、あっという間に希望へと変わっていく気がします。

 

 次回 :「SDGsを自分ごとにしていく⑤」

   次々回:「SDGsを自分ごとにしていく⑥ 」

   記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・「高司という男」・「歴史を紡ぐものたち」

 今回のテーマと類似:「「自由」を得た後の選択肢」

 今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。

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