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[小学校 図工科の授業] 対話・共創・繋がりを通して、社会変革(SDGs・IoT等)をみんなで考えるblog @話題提供

続 レッジョ・エミリア  〜 日本の教育現場に自分らしく取り込む 〜

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小学生になる前までは"教科"という型に捉われることはない

 娘が"ねるねるねるね"みたいのをやっていた。

 「あっ、STEAMだ。」と思った。

 "ねるねるねるね"が【着色料などの化学的な材料を使っていない。】ということを、ついこの間知った。

 子どもの頃、魔女がCMしているくらいだから悪いものが混ざり込んでる、とか言われて、あんまり食べさせて貰えなかったような…

 一緒に食べてみたが、ドクターペッパー以来の他に表現できない味を覚えた。ふわっとして美味しかったけど…。

 

 STEAM教育

  Science(サイエンス)…科学
  Technology(テクノロジー)…技術
  Engineering(エンジニアリング)…工学
  Art(アート)…芸術・教養
  Mathematics(マスマッティクス)…数学

 

 オバマ前大統領が述べたことでも有名になった教育の一つである。社会変革が目まぐるし現代を生き抜くために、自らの意思を大切にし、創造する力を養うことを中心と置いているように思う。society5.0やSDGsなどが提唱している世界が抱える課題の解決には、必要不可欠な能力が詰まっている。もともとSTEMだったところに、AのArtが加わったことは、今年度から図工専科になった私としてはとてもありがたく思うし、今の事態の中、人が心を豊かに保つのにArtの力は必要不可欠だと身をもって感じている。

 始めて、ダルゴナコーヒーを作った時も「味は麦芽コーヒーにそっくりだったが、何よりもその見た目に心が癒された。」のは間違いない。

 器を集めたくなる人の気持ちもとてもよくわかる。同じ茹でただけのブロッコリーでも、それを乗せる皿の色合い・素材また、マヨネーズの掛け方を工夫するだけで、もしかしたらおうちフレンチを楽しめるかもしれない。

 大袈裟かもしれないが、それぐらいArtというのは人々の心を躍らせるものであることは間違いないと思う。

 Panasonicに新しく就任された重役の方が、企業利益を向上させるためにまず行ったのが"オフィス改革"。

 話をかなり端折るが、真っ黒のスーツを推奨せず、自由な服装に変更、社内も明るい雰囲気のデザインに。もちろんそれ以外の戦略は当然あるに決まっているが、その試みで企業として一番得たものは、発言者の人数が増えたこと。それにより、アイディアの数が激増したことにあると思う。

 新入社員は、何も言わなくても緊張している人が多い。その上に、真っ黒のスーツ軍団に取り囲まれたら息が詰まる。当然、素敵なアイディアをもっていても息すらしにくいのだから、発言なんて持っての他。という状態になっている職場が、日本は特に多いのかもしれない。

 アイディアを出し合うのに年齢なんて絶対に関係ない。敬意は持つべきかもしれないが、役職も然りだと思う。

 洋服一つで1000ものアイディアを潰してしまっているのであれば、それを排除してしまえばいい。

 実に単純だが、そこにメスを入れられる勇敢な日本人は少ないのかもしれない。

 

 なぜ"ねるねるねるね"みたいなのを娘がやっているのを見て「あっ、STEAMだ。」と思ったかというと、

 ・パッケージに記載されている行程から"工学"を感じ、

 ・水をミリ単位で計量している娘は"数学"を学びを、

 ・スポイトで上手に水をすくうことから"技術"を得て、

 ・Aの液体にBの液体を垂らすと、ドット状に瞬時に固まる"科学"にともに驚嘆し、

 ・娘のそのドット状のゼリーみたいなので描くカラフルな魚は、もはや言うまでもない"芸術"であったからだ。

*ちょっと無理ありません?と思う方もいるかもしれないが、感じた方は人それぞれで、その瞬間感じたことは、どんなことでも大切にするべきだし、されるべきだと思っているのでありのまま書きました。

 

 STEAM教育の好きなところは、教科の壁がないこと。もし、もっと欲を言っていいのであれば"この5つの教科名"すらなしにしたいくらいだが、それでは机上にすらあげられないので仕方がないのかとも思う。

 オランダのイエナプラン教育にもワールドオリエンテーションがあり、教科横断型の教育は今や世界ではごく当たり前のものになっている。その中で日本は…。いつまで"成績主義"を全員に追求していくのでしょうかね。

 人にはそれぞれ個性があるがゆえに、得意分野も異なるはずなのに、それを均一化しようとすればする程、アイディアは潰されているのだろうな。最近、中高生が会社を設立する流れが出てきているが、本当に支援すべきだと思う。

 未来をよりよくするのは、まさにその世代の人たちだからだ。

 

物事を掛け算で考える 泡立てた珈琲×豆乳(または牛乳)=ダルゴナコーヒー は間違いかな。

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 見出しの正解は「足し算」だと思う。なんでも掛け算と言えばいいわけじゃない。

 珈琲と豆乳を掛けたら…。

 やはり答えは見つからない。

 

 【企業  ×  分野】この発想には大賛成である。

 互いの持ち味が合わされば、足し算を超えて、化学反応から掛け算のような振り幅を見せるかもしれない。

 そうした意味が隠れていることは分かる。

 だからこそ、かける数・掛けられる数のどちらかが【0であってはいけない。ましてやマイナスなんて】ということを、一個人の中でも大切にしようと思っている。

 どちらかが「1」でも足りませんね。いくらかけても現状維持になってしまうから。

 1にどんな大きな数を掛けても数は変わらない。*算数で好きな答えの一つです。

 化学反応を起こすには、どちらの数も1以上、自分でも、人にもある程度認められる現状になっていない状態でいくら掛け合わせてもしょうがないし、時間がもったいないと思う。それよりもまず、どちらかに集中して掛け合う数を高め合うことの方を優先すべきだと思う。

 人は本気を出し始めたらすごいから。

 それに向かい始めるのは何歳からだっていいと思う。

 

 今、世界7大教育法の他、デザインや経済の企業発信のオンラインワークなどによく参加している。

 そうした講義を受けただけで"何か得た"なんてことは絶対にあり得ない!と、自分にいつも戒めのように言い聞かせる。

 そこから発展的に自分のマインドに合うことを抽出し、見解を見出し、有用してみて、やり直して、世に出してみて始めて「2」くらいになるものだと思っている。

 

 ○自分自身が描く理想の世界観 = レッジョ・エミリアの環境設定・人の関わり方 ×  STEAM教育の教科融合 ×  イエナプラン教育のワールドオリエンテーション ×  今までの経験・体験 ×  理想 × ニーズ ×  家族 ×   仲間 ×  環境 ×  変化と挑戦 × あと何を足していけば目指したい平和な世の中に近づいていくのかな?と思い続ける心 × …

 

 この式に、終わりを作ってはだめ!と自分に言い聞かす。限られた時間の中で何ができるか。

 一流の研究者たちが寝る間も惜しむ気持ちが少し分かる気がしてきた…。

 

 公教育の場に取り込む中で、限りなく描く世界観に近づけるよう努力を惜しまず、創造することを楽しみ続けたいと思っている。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 遠回りですが20年先がよくなっていくようなblogに成長していきたいと思っています。

 

 次回 :「レッジョ・エミリアと育児」

 次々回:「レッジョ・エミリア × Camp 」

   記載予定(仮):「mucchuというタイトルへの願い」・【「自由」を得た後の選択肢】・「高司という男」

 

 今度ともご愛読の程、よろしくお願い致します。

 @mucchuart